巻頭言

「虚数」としてのハムカツ

 そもそもは、豚肉をいかに美味しく食べるか、
という目的から生まれたのがコートレット(トンカツ)という調理法。
豚肉は火を通さなければ食べられない、
でもそのまま焼いたのでは、肉汁とともに肉の旨味が流れ出てしまう。
そこで人々は、衣をつけて焼く(揚げる)という方法を思いつきました。

 この場合、主役は「豚肉」だから、自然と肉を厚くする方向に向かう、
これは正統なひとつの系列です。
ところがもうひとつ、
新たに別な系列が派生します。

「衣をつけて揚げた豚肉」が美味しいのは、
実態である「豚肉」の部分ではなく、
それを修飾する「衣をつけて揚げた」の部分ではないか、
と考える人が出てきたのです。
つまり、トンカツをトンカツたらしめているもの、トンカツの本質は、
肉ではなく衣にある。それならば、肉は薄ければ薄いほどよい。
平たく言えば
衣を楽しむために肉を薄くする、
という系列が登場したのです。

この2つの流れ、前者を実際的なトンカツと呼ぶならば、
後者を理論的なトンカツと呼ぶことができます。
あるいは、形而下的なトンカツと、形而上的なトンカツ。
原理主義的なトンカツと、ポストモダン的なトンカツと言ってもいいでしょう。
そしてこの理論的なトンカツの究極の姿が、
ハムカツなのです。

豚肉をどんどん薄くして0にしてしまったら、
存在そのものが消滅してしまう。
そこを、かろうじてハムとしてつなぎ止めている。
つまり、純粋に理論的な存在でありながら、同時に実在もする。
ハムカツとは、数学的に言えば「虚数」のようなものなのです。

これでおわかりいただけたでしょう。
ハムカツこそ、私たち人間の知的活動が生み出した産物であり、
極めて高度な食べ物だと言えます。
その証拠に、
あらゆる動物のなかで、ハムカツを食するのは人間だけなのです。